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ファラデーと親方と教授

ハッカー!

ひらめきは天才の始まり

インターネットの生い立ち?











ファラデーと親方と教授
2004.05.06
ファラデーの法則” で有名な ファラデー は、なぜそこまでになったのだろうか?

天才だったから? ・・・・・・ん〜そうかもしれない。
でも、確かに言えるのはやはり 努力家 であったこと!、だっ!!
※ファラデーは、電磁誘導の法則、電気分解の法則など、生涯に数多くの発見をした。
ファラデーは貧しい鍛冶屋の息子として生まれ、小学校の教育を受けた後、
13才にして製本屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出されてしまう。

彼が奉公に出された製本屋さんで扱っていた書物は、ほとんどが大学向けの
科学や電気関係の本ばかりだったが、 彼は勉強が大好きだったので、
休みの時間中、製版途中のそれらの本を読んでいたそうな。
ただ内容はあまりよく分からなかったとか・・・・・無理もないよね・・・
それでも読みつづけていたとか。

その中でも唯一理解できたのが、フラスコやビーカーなどの科学の実験器具の
デッサンや図解。それでも彼は、分かる範囲で来る日も来る日も科学の本を
読み続けたそうです。
そんなある日、彼の住む町で市民講座が開かれることになった。
しかも、なんと、その市民講座の講師は、たまたま彼が毎日読んでいた本を
著した教授だったのです。

そんな分けで彼はどうしてもその講座を受けたいと思ったのだが、
この時代の市民講座は、教授が小遣い稼ぎに貴族などの
上流階級の人たちを相手に行うものだったため、受講料もかなりものだった。

しかし彼は負けませんでした!
兄や奉公先の主人(親方)に頼み込んでなんとか授業料を工面し、
講座の受講にこぎ付けたのです。
彼の日ごろの思い入れが人の心を動かしたのかもしれません。

受講する前に親方が彼にこんなことを言ったとか。

  「紙ならたくさんあるから、ノートは自由につくるがいい」

何気ない一言ですが・・・実はこれがとても重要なのです。
この言葉があったから、ファラデーは(へんに遠慮することなく)飛び切り上等な
ノートを作りました。 このことが、ファラデーの法則に結びつくのです!
その市民講座は、奇術まがいの科学反応を見せて驚かせるような内容
だったようですが、上流階級の貴族に混じって、服装はボロボロだけど
やたら立派なノートを持った少年が、教授の目に留まりました。

そうです!ファラデー少年です。

しかもその、やたら立派なノートに書かれた実験器具の図はやたらと上手い!
教授は講義が終わった後もそれを忘れることができなかったようです。
(実はファラデーは、分からないなりに本を読んでいたときも、絵心のある先輩から
デッサンなどを教わっていたようです)
月日が流れ、助手が病で倒れてしまった時に、絵心のない教授は、あの
立派なノートの少年のことを思い出して助手に抜擢しました。
こうしてファラデーは科学者としての第一歩を踏み出したのです!

小学校しか出ていないファラデーはそのことにコンプレックスを持っていたようですが、
ここでもファラデーの未来を変える教授からの一言があります。

  「小学校しか卒業していない人しかできない発見もあるはずだ。
   科学者にとって「常識」は時として発想の障害になることがある。」

その一言に励まされ、ファラデーは常識という呪縛に縛られることなく、
小さな疑問もうやむやにしない科学者として成長して行ったのです。

この話からも分かるように、重要なことは、
◎環境は与えられるものでなく、生かすも殺すもその人次第であること。
◎大成するために必ずしも専門知識が必要でないこと。

会社の中にもいますよね、
・環境が悪いと嘆く人。
・専門知識が無いので、専門の学校を出た人と較べて自分は劣っている
と思ってしまう人。
・私はプログラマーとして、SEとして、長年やってきているからと言って
若い人の考え方を自分の枠の中にはめようとする人。

プラス思考でこの業界を改善していかないとね!
(ところで、蒸気機関の発明は何時ぐらいかな・・・・)

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ハッカー!
2001.10.10
ハッカー! なんて恐ろしい響きでしょうか!?
ここ数年で一般に浸透した恐怖のキーワードですね。

  システムを破壊する
  迷惑なメールを送りつける
  WEBサイトを乗っ取ってしまう・・・

さて、物事には“初めて”が必ず有ります。それじゃハッカーの初めては?
ハッカーって、初めからそんな悪いことをしていたのでしょうか?
事の始まりは25年以上前・・・・ 
まだ、計算機がバッチ処理(データを集めて一括処理する方式)全盛の時代の、
とある大学のコンピュータ好きな学生達がこの物語の主人公です。

当時の計算機はまだとても高価で、
空調や地震対策が施されたVIPルーム(超がつくぐらい)に祭られ、
たくさんの召し使い達(周辺装置)を従えておりました。

計算機(=中央処理装置(CPU))を神様に例えると
周辺装置(入力装置など)は祭司ということになりますか。
さて、この学生くん達、課題をやり遂げる為、
パンチカード(見たことありますか?)にプログラムを一生懸命パンチしては
祭司様にお願いしてプログラムを動かしてもらい、その結果を受け取る、
とういう日々を送っていたのですが・・・・

  ・・・あーあ、学校の課題にも飽きたし、
  いちいち祭司様にお願いして、遅い結果をもらうのもウンザリだ!

というわけで、
彼らはそんな生活から脱出すべく、夜中にVIPルームに忍び込み、
計算機のハッキングに精をだすようになりました。
試行錯誤の毎日でした。

そしてある日、ついにやりました!
なんともおちょくった話ですが、神様にゲームをさせてしまったのです!
なんと神様に・・・・

そのときの感動はきっと生涯に残るものだったろうなと思います。

彼らはそのことによって計算機を乗っ取っとろうとしたわけでもないし、
破壊しようとしたわけでもないし、迷惑をかけようとしたわけでもありません。
自分の反骨精神、好奇心、研究心、向上心からハッキングになったのです。

そのような精神から色々な技術を身に付け、
新しい発想で取り組んだ結果、パソコンも急速に発展したように思います。
(そのような人の中には皆さんが良く聞き世界的にも有名な人がいますね。
 ここでは名前をあげませんが。)
さて、このようにしてコンピュータの世界を発展させることに
大いに貢献してきたハッカー達ですが、今や悪の代名詞?

いいえ、違います。
最初に書いた恐ろしいこと、つまりシステムや人に害を与える人のことは
本当はクラッカー (cracker) と言うのです。

でも残念なことに、あまり分けて使われることはないようですね。
ちなみになるほどと思ったのが、
他国のサイトをハッキングするときに言語の問題にぶつかりますが、
彼らからしてみれば暗号とおなじ!なのだそうです。

そして、オープンソースも・・・
この学生くん達の間では、
プログラムをパンチしたカードや紙テープを引き出しに入れておくと
仲間の誰かが引き出してソースコードを改良し、また引き出しに戻しておく、
ということがあったようです。 

これこそオープンソースの始まりでしょうか?

今のLinuxに通じるものがありますよね?

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ひらめきは天才の始まり
2000.4.25
ピンとくる(ひらめき)ってとっても重要なことですよね。
それだけで天才と呼ばれる素質があるかもしれません。
昔読んだ科学雑誌の、世に言われる天才の思考はどうなっているのか?
というテーマの特集記事に、

ニュートン
   りんごが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見した

ベンゼン
   七人の小人が手をつないでいる夢を見てベンゼン核を発見した
   (へびが自分の尻尾を食べた、という説もある)

など、彼らは日常起こり得る事象や夢から
どうやって歴史に残る発見をしたのか?が書かれていました。
彼らは自分の研究テーマを考えに考え、
未だ結論を見出せずに、頭の中が飽和状態になっていました。

そんな時って人間、ボーッとしてしまったり、
うつらうつらしてしまうことがありますよね、

そのような時に見た事象や夢に、なぜか心に感じる疑問があって、
もしかしたらと考え、結び付けができたからこそ発見があった、というのです。
天才と呼ばれるかどうかは、
結び付けられるか、見過ごすか、の違いだとの事です。

ことわざ(?)にもありますよね、天才は99%の努力と1%のひらめき!
なんとなく分かるような気がしませんか?

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インターネットの生い立ち?
2000.4.20
インターネットと言えばもはや一般的ですが、さて、その生い立ちはと言うと…
最初にできたネットワークはアロハネットと呼ばれていました。

アロハとはご存知のように挨拶で使われるあのアロハです。
ではなぜアロハネットかと言うと…
人間は、挨拶を自発的に行いますよね。
つまり、出会った人同士が同時に挨拶してしまう場合があると言うことです。

アロハネットも同様に相手にお構いなしでメッセージを送信し、
ネットワーク上でぶつかってしまうところからそう呼ばれるようになったようです。

その後、DARPAなどに改良されて現在に至っています。
初めてアロハネットのことを聞いた時、私はその仕組みよりも、
アロハネットなんて命名するなんて日本では考えられない
と思ったことを記憶しています。
日本ならきっと立派な名前を付けていただろうな…なんて。
結構、計算機(コンピュータ)の世界も歴史の紐を解くと面白いですよ!

では、この続きはまたの機会に。

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